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Lenzan Kudo

坐禅と吹禅に思う vol.1


 明日から、箱根の芦之湯にある、東光庵という場所で、「坐禅と吹禅」をする事となりました。その誕生秘話と思いを今日から、幾つかに分けてお話します。※イベントの詳細はこちらをご覧ください。「坐禅と吹禅」

 「坐禅と吹禅」を実施するには様々な経緯と思いがありました。一つは能や歌舞伎のように、尺八がいつでも同じ場所で聴けるという環境を確立する事です。お会いする方々から、「いつもどこで演奏されているのですか?」「どこで聴けるのですか?」などのご意見を頂きます。しかしながら、実際にはこうした場所を探したり作る事が難しいのが現状です。一度、聴いたり体験して、満足して二度目は足を運ばない。これは、レストラン経営に似ています。その試行錯誤が必要。そのために、イベントは違いますが、僕は20代の頃から、尺八をライフスタイルの中にどう入れる事ができるのか、ずっと考えてきました。最初は聴きやすい音楽やクラブミュージックを作ってみたり。舞台にしてみたり。十年前からは、禅の街から禅の響きを。でも行き着く先は、本当にいいと思う音を、ずっと同じ場所で聴いてもらう事につきます。そして、現在に生きる文化に共通して言える事は、聴くのではなく、感じてもらうこと。


 二つ目に尺八を感じてもらうためには、ある程度の心の準備が必要であると感じました。準備運動のようなものでしょうか。吹禅をする僕自身も修行は必要で、そのためには坐禅が一番適していると感じています。坐禅というと、まだまだ宗教的で、お坊さんがするものと思う方もいるかも知れません。しかし、マインドフルネスというものが少し流行するようになってから、一般の方でも実践する方が増えてきました。真言宗でいうと阿字観になり、視点が少し違いますが、僕はどれも行き着く先は同じと考えています。心のあり方、今感じているものを素直に受け止める。身体を知る。それが、虫の音や自然の音。実態のない、音楽ではないものを聴くのに助けてくれます。実際には、みなさんと一緒に僕も修行したいという思いもありますが。


 

 三つ目に、楽しく出会う。実は、これに尽きると思いました。上の庵の写真で実は、最近、一緒にいる事にした物?が写っています。ほら、一番奥に手を招いているもの。黒い招き猫。僕は自分の企画の時にこれを持ち歩く事にしています。「旅する招き猫」と呼んでいます。まだ名前はありません。(是非、会いにきてください。名前も募集中です。)

 厳しく、真面目に、正しく。僕はこうした世界にずっと身を置いていました。でも、僕はそれが正解とは思わなくなりました。心身萎縮するし、新しい発想も生まれない。坐禅をお寺にしに行くと決まって、こういう人がいます。仕切りたがりや。坐禅はこうしなくては、ならない。また、意識的に空間や自我の壁を作っていたり。とにかく志が強くできてしまう。色々な悩みや目的が異なる人が集まる場所では、その場所を提供するだけで、十分と僕は考えます。自由とは違いますけれど。まずは、心をニュートラルに。そのために、楽しい雰囲気を味わってもらうために、僕は「旅する招き猫」と行動を共にする事にしました。年齢、性別、職業、何にも囚われず、ただ出会いとお互いを尊重し合う方々が出会う空間。もしかしたら、新しい形の茶室をイメージしているのかも知れません。


 

話すとまだまだ、理由や思いがあるので、今日はこのへんで。あ、そうそう、「坐禅と吹禅」の後には、茶礼します。箱根の宮城野で作られている温泉餅とほうじ茶をお出しします。

是非、たくさんの方にお越しいただきたいですし、色々とお話もできたらと思っています。では、東光庵で。

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