その人と共に
その人の呼吸に寄り添って、いつも大切にして。
言葉よりも、ずっと深いところで繋がって。
最後まで、それを看取って。看取られて。
眠りにつく。
最後に空に一呼吸。自分を永遠に返すように。
ただ、僕は消えていく。
ただ、あなたは消えていく。
大切な人の命を感じながら。
31日の大晦日。「坐禅と吹禅」の最中に頭によぎった言葉です。人は生き方も考え方も、なかなか変わらないものです。同じ現実も、人によって、見ている風景が変わってしまう。結局は自分の心から湧き上がるものが、人生を作っていくのだな。そう思ったのかもしれません。
よく、物事には良い悪いはない。お互いの視点から考えなければなどと話す人がいますが、それも、視点で判断している時点で、その人の主観が入るわけです。良い悪いはなく考えようという事は、既に良い悪いがあると言う事です。
世の中は、平等だと言う人がいます。何をもってでしょうか。今まで人類が平等であった事など一つもありません。平等とは、生死が誰にでもあると言う事だけ。その長い短い、太い細いは関係ありません。
でも生きているうちは、大切な人が近くにいます。家族、友人、もしかしたら道ですれ違う人。どこに自分の人生を豊かに変えてくれる人がいるかは、誰にもわかりません。それこそ、それが良い事象だとも限りません。
生きている意味を僕は小さい頃から求めていました。死ぬのが怖かった分、得体の知れない幸せを求めていたのだと思います。大きな家、美しい恋人、世界的な有名人になるなど。死が欲を生み出すのか、それとも人間の本質かは、わかりませんが、僕は、そんな事を考えていました。
今は、どちらかというと手放しているのかも知れません。
耳がもがれても、目が光を失っても、腕がもがれて人に触れる事ができなくなっても、僕は、それ以上に聴くこと、見ること、触れることができる。それ以上に伝える事ができる。
それを、知る事ができたのは、実に幸福な事でした。
僕やあなたが在るから。それを超える強い気持ちで命はできているから。
それは、お互いの息を感じるだけで十分すぎます。その人間が発する息が、さらに鮮明な命の息に変わったとしても。
僕は、それを「虚空」と感じます。
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