「無為自然」確か老子の言葉だったと思う。
最近はひたすらに、その事を思う。一度、作られた人間的行為や、ものは二度と自然に変える事はない。尺八を吹いていると、身体を作ってしまう事がある。特に健康でない時に限って。そうすると自然体で吹く事は、もう難しい。
そうか、僕は、自然に戻るために尺八を続けているのだと感じる。人間として永遠に得られない呪縛のような。そうか。だから坐禅をするのか。吹禅をするのか。
ただ樹のように風を感じ、秋の土に敷き詰められる枯葉のように。
「自ずから然り」
思考も、祈りも手放して。
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